1カ月ほど前だったか。英国のサー・マイケル・スタウト師が今年いっぱいで調教師を引退することを発表した。
英ダービーは、あのシャーガーを筆頭に6勝。日本でもおなじみでジャパンCを96年シングスピール、97年ピルサドスキーで連覇した。
まだ日本競馬にとってブリーダーズCなど夢のまた夢だったあの頃。シングスピールのジャパンC出走までの成績を調べて驚いた。ジャパンCの前走がブリーダーズCターフ2着なのだが、1着はピルサドスキー。つまり、スタウト師は英国から米国に輸送し、出走させた2頭でブリーダーズCターフのワンツーを決めたのだ。こんな調教師がいるのかと思った。
ただ、記者会見では明るく優しい表情で、勝負師にありがちな厳しさなどは、みじんも見せなかった。英国の田舎町にいそうな優しくて親切なおじさんという雰囲気だった。
しかし、心の中は闘争心に満ち満ちていたのだと思う。社の先輩からこんな話を聞いた。
前述の通り、96、97年のジャパンCを連覇したスタウト師。レース後、旧知の藤沢和雄師の姿を見つけると、こう言ったそうだ。「カズ、俺はお前の国が大好きだよ」
どういう意味か。ジャパンCは外国馬とその関係者を非常に歓待し、もてなすレースだ。関係者は都内の超一流ホテルにJRAのお金で宿泊し、空いた時間には都内観光にも連れて行ってもらえる。(今はどうか分からない。当時はそうだった)その上で2年連続で勝たせてもらえて高額の賞金をいただける。いやー、本当にありがたいよ。カズ、お前は恵まれているなあ…。そういう意味だろう。
なかなか痛烈である。笑顔の下でアッカンベーをしている感じが伝わってくる。しかも、藤沢和雄厩舎はエースであるバブルガムフェローを送り出し、ともに負けている(13着、3着)のである。
日本を代表する調教師の負けん気に火がついたことは言うまでもない。翌98年夏。藤沢和雄厩舎はタイキシャトルをフランスGⅠ、ジャック・ル・マロワ賞へと送り出し、見事に勝ってみせた。その時の2着はスタウト厩舎のアマングメンだった。勝った地がフランスなので「お前の国(英国)」でなかったのは残念だが、藤沢和雄師は1年前に浴びたセリフと似たような言葉をスタウト師に返したそうだ。
自分が実際に見たわけではないが、何というか、いいシーンである。世界最高峰クラスの調教師2人が笑顔を浮かべて握手。しかし、腹の中ではコノヤローと思っている。それでいて、心の中の深いところではつながっている。若い頃、ニューマーケットでともに苦労しながら高め合った2人だからだ。
そういえば、藤沢和雄師とはいろいろ話をしたが、国内のライバルという話は出なかった。ある時から完全に無人の野を行き、自分を高めるのは自分だけ、という状態であるように見えた。それはある意味、とてもきついことだと、はた目からは思っていた。
今はこう思う。師は海外の名調教師をライバル視していたのではないか。マイケル・スタウト師が代表格で、エイダン・オブライエン師やボブ・バファート師、サイード・ビン・スルール師…。個人的には、それらの世界的名トレーナーに藤沢和雄師は決して負けていなかったと思う。
まあ、それはさておき…。マイケル・スタウト師の引退を聞いて、どう思ったか。先に引退した藤沢和雄氏に聞いてみたいところだ。