短期免許を取得して来日した外国人騎手がGⅠを勝つことは、今や珍しいことでも何でもない。そして、今や日本競馬になじみすぎて(?)特殊に見られることすらなくなったように思う。一時、外国人騎手の活躍が目立った頃、「外国人(騎手)のボックスを買っておけば当たるでしょ」などという声をウインズで嫌となるほど聞いた。今、そのような声を聞くことは、ほぼない。ある意味、“外国人”ではなく、1人の騎手として、フラットに見られるようになったのではないか。
では、短期免許で外国人騎手が制した最初のGⅠは何か。これが朝日杯3歳S(現朝日杯FS)。今週、行われる2歳馬の頂上決戦だ。騎手はマイケル・ロバーツ。南アフリカの生まれで当時は英国を拠点に活躍する欧州トップクラスの1人。馬は芦毛の馬体のアドマイヤコジーン。父は米国の種牡馬コジーンだが、日本で生まれたことから「マル外」にはならず、クラシック出走権のある「持ち込み馬」だった。
なかなか味のある勝ちっぷりだった。道中は5番手付近でレースを進めたアドマイヤコジーン。直線を向き、外に出して進路を確保するとフットワークが一変した。全く同じ単勝3.3倍(わずかな差で1番人気はアドマイヤコジーン)と人気を二分したエイシンキャメロンと、2頭で一騎打ち。残り50mで前に出たアドマイヤコジーンが首差、制した。アドマイヤコジーンは東京スポーツ杯3歳S(当時)に続く重賞連勝で2歳トップの座に就いた。
勝利の余韻を楽しみながら、ロバーツ騎手はご機嫌でインタビューに応じた。「いい馬だねえ。ぜひ、この馬でダービーに挑戦したいよ。僕は来週で免許が切れるんだけど、ずっと日本に残っていたいくらい」と身振り手振り付きで語った。「でもね、まだ馬が子供だよ。それだけに、ここからもっと良くなる可能性がある。間違いなくクラシックホースになれる素材だよ」
当時の弊紙や取材ノートを読み返して思うのは、初めて外国人騎手が日本馬とGⅠを制した、という“初めて感”が、あまりなかったということだ。それまでもロバーツは毎年のように来日して、記者たちともフランクに接していたから、自然にスッと“その時”を迎えたような気がする。
その後、短期免許を希望する外国人騎手は大幅に増えた。成績上位の厩舎や牧場が積極的に騎乗を依頼するため、成績も目を見張るようなレベルとなった。
日本人騎手、特に中堅は当時、相当なあおりを食った。「野球でいえば、各国の四番打者が来るんだぜ。そんなドリームチーム相手に頑張れって言われてもねえ。正直、厳しいよ」と直接、美浦で聞かされたことがある。しかし、多くの騎手は(少なくとも表面上は)腐るようなところは見せず、外国人騎手からアドバイスを受けよう、技術を盗もうと、これまで以上に真剣に取り組んでいたように見えた。
ロバーツやオリビエ・ペリエは若手騎手に質問されれば真剣に答えていたし、積極的にアドバイスを送っていた。
その結果として、今の日本競馬があるように思う。どうだろう。ドバイワールドCやブリーダーズCクラシックに川田将雅騎手や坂井瑠星騎手の名があるのを見て、「騎手のレベルで負けてるなあ」と思うだろうか。思わないだろう。日本人騎手は世界と互角に戦える。もう、そういう前提になっている。それは、先人たちがロバーツやペリエと懸命に戦い、時にはアドバイスも受け、後輩に伝えてきた、その成果だと思うのだ。
ちょっと脱線するが、いわゆる高校野球などでは「ユニフォーム負け」ということが起こる。念願の甲子園出場。だが、相手のベンチを見る。テレビで何度も見た「大阪桐蔭」「横浜」のユニフォームを着ている。ああ、見ただけで強そうだ、もうダメだ…。試合前から相手のユニフォームにびびっていては勝てるわけがない。
日本競馬に関しては、そのようなことは今、ほぼないと言っていいだろう。むしろ、ドバイのパドックで川田将雅騎手の姿を見ると、またやってくれるんじゃないかという気がする。来日した外国人騎手が「レジェンドのタケ騎手に会いたい」などと言ってくれるのもなかなか気持ちいい。
それもこれも、短期免許の歴史を開拓したロバーツ騎手に原点があるのではないか。今回、アドマイヤコジーンのレースを改めて見ながら、その思いを強くした。今は調教師をしているというロバーツ。久しぶりに来日して、今の日本競馬について語ってもらいたい気がする。