武豊にダービー初勝利をプレゼントし、種牡馬となってシーザリオ、ブエナビスタを出して大成功を収めたスペシャルウィーク。そんな日本競馬史に残る偉大な馬にとって重要なポイントが98年きさらぎ賞だった。この1勝からスペシャルウィークのキャリアは軌道に乗り始めたと表現していいだろう。
前年11月に新馬戦を快勝したスペシャルウィーク。誰もが翌年のクラシック候補と認める勝ちっぷりだったが、そこから歯車が狂い出す。出走すべき2戦目が“見えなかった”のだ。
理由は、小倉競馬場の改修工事で、この時季恒例である、1月下旬からの小倉開催が組めなかったことにある。2場開催が続き、レース数は例年に比べ大幅減。空前の除外ラッシュとなった。今も条件によっては時折見られるが、取りあえず登録→除外→権利確保、という馬が一気に増えた。
スペシャルウィークも鮮やかに新馬勝ちを決めたとはいえ、多くの馬と同じ1勝馬。まずはゲートインできなければ、どうにもならない。取りあえず、権利獲りを目指して「白梅賞」というレースに登録した。ここは登録数も多く、まず除外だろう。出走権は確保できる。
しかし、だ。ここでスペシャルウィークは抽選に“通ってしまう”のである。もちろん日々、細心の注意をもって調整を重ねており、走れないという状態ではない。ただ、完調手前であることは間違いなかった。
その白梅賞。嫌な予感が的中する。単勝1.3倍。直線を向いて、いったんは抜け出して先頭に立ったが、内から愛知競馬のアサヒクリークにゴール寸前、かわされてしまうのだ。単勝14番人気、2万4100円ついた超伏兵の鞍上にいたのは、武幸四郎騎手(現調教師)だった。武豊騎手は唇をかんだ。
もう負けられない。陣営は今度こそとの思いで完調へと仕上げ、「つばき賞」への出走を目指す。だが、ここでスペシャルウィークは抽選除外となる。何という運のなさ。クラシックへの日数を考えると、もう時間はない。陣営は翌週のきさらぎ賞へ、格上挑戦で挑むことを決めた。
そして迎えたきさらぎ賞。今度こそ状態万全。これまでのうっぷんを晴らすかのようにスペシャルウィークは躍動した。1枠1番からのスタートで周囲を馬に囲まれ続けたが、きっちりと折り合った。直線では前を行くイアラジーニアスとイアラハリケーンの間が空いたと見るや、真一文字に突き抜けた。
実はスペシャルウィークは白梅賞を勝っていたら、次は共同通信杯4歳S(現共同通信杯)に出走する予定だった。98年共同通信杯4歳Sといえば優勝馬はエルコンドルパサー。一足早く、スペシャルウィークVSエルコンドルパサーが実現していたわけだが、その共同通信杯4歳Sがどんなレースだったか覚えているだろうか。
東京競馬場は大雪に襲われ、1Rから全てダート変更。共同通信杯4歳Sもダート1600メートルで行われ、グレードも外された。ダートの新馬戦を圧勝したエルコンドルパサーの独り舞台だったのだが、スペシャルウィークが出走していたら、果たしてどうだったのか。
もちろん、エルコンドルパサーと激闘を繰り広げたかもしれないが、初のダートがマイナスと出た可能性も考えられる。ダービーを目指す馬がこのタイミングでダートを走ることにプラス要素はなく、賞金を積めていなかった可能性もあったはずだ。結果的には、白梅賞を勝てなかったことはダービーをたぐり寄せる近道だったように思える。「人間万事塞翁が馬」である。