中山記念といえば…筆者がまず思い出すのは「サクラ」の勝負服。いや、発想として古いということは分かっている。それでも説明すると、94年サクラチトセオー、96年サクラローレル、04年サクラプレジデントと、中山記念といえばピンク色の勝負服、という時代は確実にあった。
今回は筆者が現場で「これは強い」と思わず声が出た、04年サクラプレジデントを取り上げたい。
筆者がサクラプレジデントのことを初めて知ったのは02年夏の札幌だった。「今年のセダンフォーエバーの子も走りそう」と小島良太助手から聞いたように記憶する。

セダンフォーエバーはサクラプレジデントの母の名。名牝サクラセダンの子で兄にはサクラチヨノオー、サクラホクトオーが名を連ねる。筆者は大学時代、サクラホクトオーにイレ込んだ口。競馬記者となってからも、この一族には常に注目していた。
助手の見立て通り、新馬戦を快勝。札幌2歳Sも制した。高まるクラシックへの期待。だが、サクラプレジデントはGⅠで突き抜けるまでには至らなかった。
皐月賞はネオユニヴァースと頭差の2着。ダービーは7着。やや限界が見えたか、と思わせたが、札幌記念でエアエミネム以下をズバッと差し切る強い競馬を披露。と思えば、菊花賞(9着)、ジャパンC(14着)では見せ場なし。強さともろさが同居したタイプだった。
陣営は懸命に馬の声を聞こうとした。そして出した結論は「この馬はラチを気にする」だった。サクラプレジデントは頭がいい。だからこそ、ラチ沿いにいることによるさまざまなリスクを馬が想像できるのだろう。
ジャパンC14着から間隔を空けて臨んだ04年中山記念。陣営は武豊騎手と「ラチを気にする」点を情報として共有した。さらに、レースに集中させるため、耳覆い付きの覆面を初めて装着。舌もしばって、できるだけレースに集中できるよう工夫した。
武豊騎手も期待に応える騎乗を展開した。ラチを気にするのに1枠1番。これには陣営も頭を抱えたが、武豊騎手は掛かり気味になりながらも向正面で懸命に馬を外へと誘導。4角では6番手の大外に位置した。
ラチから離れ、完璧なラストスパート態勢ができあがった。残り200メートルでもう先頭。坂上では後続を引き離す一方だ。2馬身半差の完勝。勝ち時計1分44秒9は当時のレコードとなった。
「直線では本当によく伸びたね」。好騎乗を見せた武豊騎手だったが、笑顔で手柄を馬に譲った。「強い競馬だった。気持ちが大人になったと感じる。まだ成長できる余地もある。大きいところを目指したいね。サクラローレルのようになれる馬だと思う」。小島太師は胸を張った。しかし、サクラプレジデントはローレルのようにはなれなかった。安田記念を目指したものの調子が上がらず長期休養。天皇賞・秋で復帰したが14着と完敗し、屈腱炎を発症して引退へと追い込まれた。
GⅠには手が届かなかったが、思い入れのある血統からサクラプレジデントが出てくれたことはうれしかった。中山記念で見せたパフォーマンスはGⅠを勝つレベルのものであったと、今も思っている。