3月23日の中山3R。メモリアカフェが勝ち、管理する柄崎将寿調教師(つかざき、42)がJRA初勝利を挙げた。3月5日に開業して4戦目だった。
「すごく人気になっていたので、うれしいというよりホッとした気持ち。これでゆっくり眠れそうです」と若き指揮官は正直な胸の思いを吐露した。
柄崎師は祖父・義信氏、父・孝氏に続く、父子3代にわたっての調教師。騎手としてはそこまで活躍できなかった(在籍10年で33勝)が調教師としては大成しそうな予感がする。それは、父・孝氏に調教師としての鋭い感性、管理者としての資質を筆者は感じていたからだ。
柄崎孝師といえば、まず89年皐月賞馬ドクタースパートの名前が挙がる。あの年の皐月賞は不良馬場。1番人気サクラホクトオーが19着に大失速したレースだ。ドクタースパートと同期のトーワトリプルもGⅡ2勝(NHK杯、日経新春杯)と活躍した。

で、筆者が注目したいのは牝馬だ。まずは、こちらもドクタースパートの同期、リストレーション。ノーザンテースト産駒で500万下(現1勝クラス)、900万下(現2勝クラス)で堅実な走りを続けるタイプだったが、91年夏に函館でついに900万特別を勝つと、準オープンを飛び越えてGⅢの牝馬東京タイムズ杯(現アイルランドトロフィー)に挑戦。不良馬場の中、6番人気ながら豪快に差し切ってしまった。
すると、中1週で天皇賞・秋に出走。11番人気の低評価だったが4着に食らいついた。この時も不良馬場。メジロマックイーンが18着降着となり、プレクラスニーが制した、あの一戦である。
リストレーションの2歳下の妹、ダンスダンスダンスにも目を見張った。3歳春のフラワーCで2着に入って賞金を積むと、桜花賞でなく皐月賞に向かったのだ。そして見事5着(1着トウカイテイオー)。手元に当時の資料がなく、出走の経緯が全く分からないのが残念だが、その後、皐月賞に挑戦した牝馬の成績が芳しくない(14年バウンスシャッセ11着、17年ファンディーナ7着、24年レガレイラ6着)ことを思えば、快挙だろう。柄崎孝師、確実に歴史を刻んでいたのだ。
こんなこともあった。95年東京新聞杯。雪によるダート変更で、グレード制導入以降、史上初めてGⅢの格付けが取り消された一戦だ。そこを勝ったのが柄崎孝厩舎のゴールデンアイだった。

だが、勝ったというのに師に笑顔は全くなかった。それどころか、ゴールデンアイそっちのけで10着に敗れた自厩舎のホマレオーカンに言及した。
「ダート変更ならホマレオーカンは当然、欧米のように“出走取消”を認めるべき。ダートはどうかという馬でも馬券は売れてしまう。ダートを走る疲労度も計り知れないし何より故障でもしたらどうするのか。競馬会と話し合って今後の課題としたい」
ホマレオーカンはサクラユタカオー産駒。過去23戦したが全て芝だった。柄崎孝師は当時、日本調教師会関東副本部長の要職にあった。ダート変更でも、格付け取消でも、管理馬を出走せざるを得なかった他の調教師の思いを代弁したのだろう。
いかがだろう。GⅠをいくつも勝つタイプではなかったが、要所でしぶい光を放った柄崎孝師。その遺伝子を引き継ぐ柄崎将寿師にも、きらりと光る厩舎経営センスがあるはずだ。期待は大きい。