競馬は“3強”が面白いという。2強では、その2頭の駆け引きしか楽しめるところがない。3強であれば、AとBが火花を散らすところをCが強襲したり、後方でBとCがやり合っている隙をついてAが逃げ切ったり、さまざまなパターンが考えられる。見どころの枚数が格段に増えるのだ。
93年クラシック戦線も3強の構図だった。皐月賞前の戦績を紹介する。まずはビワハヤヒデ。新馬戦で2着に1秒7差をつけた超大物。2着惜敗もあるが、ここまで6戦して4勝2着2回。揺るぎない安定感が売りだ。
ウイニングチケット。1200メートルで不良馬場のデビュー戦こそ5着に敗れたが、その後はトライアルの弥生賞を含めて4連勝。関西のドン、伊藤雄二調教師が管理し、「この男にダービーを獲らせたい」と公言して柴田政人騎手を鞍上に据えるという泣かせるストーリーもあった。

そしてナリタタイシン。新馬戦6着、きんもくせい特別6着などの敗走を経て、キャリアを積みながら切れ味アップ。弥生賞ではウイニングチケットの2着に食らいついた。
いざ、皐月賞。人気はウイニングチケット、ビワハヤヒデの順。少し離れた3番人気がナリタタイシンだ。
位置取りから各馬の特徴が出ていた。先行抜け出しタイプのビワハヤヒデは4番手付近の外。それを見るような形で中団の外、8番手あたりに位置したのがウイニングチケット。ナリタタイシンは決め手勝負に徹し、後方から2番手で息を潜めた。
4角手前、ウイニングチケットがビワハヤヒデに接近していく。ウイニングチケットの影を感じながらも残り200メートルで先頭に立つビワハヤヒデ。そして坂を上がり切ったところでウイニングチケットを振り切った。
もう大丈夫…。ではなかった。外を回さず、馬群を縫って上昇していたナリタタイシンが襲いかかった。ウイニングチケットとの“タイマン勝負”を終えた後のビワハヤヒデに抵抗する力は残っていない。ナリタタイシンが鮮やかに差し切った。
「折り合いだけ気をつけていました。マイペースを心がけたのが良かったのだと思います」。まるでベテラン騎手のようなコメントだが、お立ち台でこう言ったのは当時24歳の武豊騎手だった。
今、VTRを見ると、武豊騎手のたぐいまれな“胆力”がよく分かる。ビワハヤヒデの岡部幸雄、ウイニングチケットの柴田政人両騎手とも、いつでも動けるよう、そして不利を受けぬよう、外を回っていた。その分、距離ロスもあったはずだ。
武豊騎手は違った。道中はインで距離ロスを防ぎ、4角でも外でなく馬群からの突破に懸けた。いったん“捨て身”となり、そこから2頭を倒しにいった。なかなか24歳にできる騎乗ではない。
冒頭で“3強”と紹介したが、皐月賞前は3強と紹介するスポーツ紙もあれば、“BW対決”とナリタタイシンを外した2強とする社もあった。この皐月賞の結果を受け、どの社も“3強”と呼ぶようになった。まれに見る面白さの93年クラシックは、混沌とした格付けのまま、ダービーを迎えることとなる。