中央競馬に別れの季節がやってきた。今年も3月3日をもって国枝栄、小西一男、土田稔、根本康広、南田美知雄、佐々木晶三、西園正都の7調教師が定年引退となる。
アーモンドアイ、アパパネ、マツリダゴッホといったスターホースをターフに送り出した国枝師。競馬史に残るレベルの名トレーナーだが、トレセンでは、そんな雰囲気は一切見せなかった。ごくごく常識的な、物腰の柔らかい、尊敬できる人生の先輩。美浦のマスコミで国枝師のことを悪く言う人は1人もいないだろう。

国枝師で思い出すのは“栗東滞在”だ。関西のビッグレースに管理馬を出走させる際、直前に美浦から長距離輸送させるのではなく、もっと前に栗東トレセンへと入厩させ、当日輸送でGⅠへと臨む策。師は、これのはしりだった。
よく覚えているのはソルティビッド。02年ファンタジーS前に栗東へと入り、同レース(5着)、阪神ジュベナイルフィリーズ(17着)に出走。結果は出なかったが、こういう策があるのかと驚いた。
さまざまな狙いがあった。輸送を軽くすることもそうだが、“スケールの大きい坂路”もターゲットのひとつだった。
当時、栗東はすでに計測可能距離800メートルの坂路を備えていたが、美浦は同600メートルに過ぎなかった。
この頃、美浦と栗東は成績に決定的な差があった。西高東低まっただ中。東西で年間120億円もの獲得賞金差があった。
熟考した若き国枝師。経営努力の差による成績の優劣なら仕方ないが、少なくとも施設は東西均衡であるべきだ。そこで自ら栗東に管理馬を送り込み、同じ坂路でも美浦とどれだけ差があるのかを“体感”しに行った。
そして、思ったことをまとめ、JRAに提出した。これがいわゆる「国枝リポート」だ。
この後、東西格差は徐々に詰まり、美浦からもスターホースが続々と現れた。美浦の坂路も改修、延長された。国枝師に先見の明を感じずにはいられない。しかも、ソルティビッドの子(アパパネ)が関東逆襲の先鋒となるのだから運命とは面白い。
ただ、当時のことで思い出すのは栗東滞在中の国枝師の明るい笑顔だ。「坂路の差が…」などと四六時中、しかめっ面をしていたわけではない。藤井調教厩務員と並んで、汗を拭きつつ、笑顔でソルティビッドと帯同馬ホッカイゲントクの寝わらを上げていた。あのシーンは今も目に焼き付いている。
そして、その明るさこそが国枝師を国内指折りの調教師へと押し上げた最大の要因だと思うのだ。厳しさは当然ある。思考も深い。だが、そのすぐ隣に笑顔がある。このメリハリこそが国枝師の人間的魅力だった。
以前に、国枝厩舎の調教師室を訪ねた時、机にノートが置いてあった。「マツリダゴッホ」と書いてある。見せてくださいとお願いすると、指揮官は「いいよ」と即答した。
調教内容や体調の変化などが細かく書かれた中、赤い文字が目立つゾーンがあった。「ああ、それは香港遠征中だ。残したカイバ量を赤で記しているんだ。かわいそうだったね」
繰り返しになるが、美浦きっての名調教師でありながら、威張るところもなく、記者に対しても目線は常にフラットだった。本当に勉強になった。感謝したい。






