(鹿児島県日置市)毎年11月23日
武士の技と心を今に伝える勇壮な神事

大汝牟遅(おおなむち)神社の伊作(いざく)流鏑馬は「ヤッサンサァ」と呼ばれ、薩隅日三州統一の礎を築いた伊作島津氏日新公(島津忠良)が天文7年(1538年)に加世田攻め成功を祈願して奉納したことに始まるとされています。『上井覚兼日記』には、 島津義久が天正2年(1574年)10月25日に大汝牟遅神社に参詣し、流鏑馬を観覧したことが記されています。


馬が走る前に馬場を清めます。また鳥居の前では九つの文字を唱える魔よけの神事「あげ馬」を行います。
現在では流鏑馬は大汝牟遅神社の例大祭の11月23日(古くは10月25日)の浜下り神幸祭の後に11時30分頃より斎行されています。
当日は例大祭の神社での祭典、浜下りの後、神社正面鳥居の前で「あげ馬」の式が行われます。あげ馬は神前に向かって始めに、代表が願文を奏上し、次に射手2人が交互に馬上より流鏑馬法・除魔法の九字を切るというものです。

あげ馬の後、別当2人が口取りして馬駆の馬場本の位置へと向かいます。流鏑馬の馬場は八幡馬場(竪馬場)と呼ばれ、直線で200メートルあり、40メートルから70メートル間隔で平木板9枚を組合わせた的3本が置かれます。射手の装束は狩衣に射小手、行縢(むかばき)をはき、箙(えびら)の征矢は五筋、綾蘭笠(あやいがさ)を冠ります。

馬駆けの第1回目は「素馳」と言い、手綱を取ったまま馬場を駆ける馬ならしで、2・3・4回目に矢を放ちます。この時別当は1人が馬駆けの前に馬場を手綱を振り回しながら走って道を祓い、他1人は射手の射た矢を拾って後を追います。
的に矢が的中するたびに歓声が上がり、平木板の破片は魔除けとして人々が持ち帰ることができます。
鹿児島県内には3例が現行の流鏑馬神事として確認されていますが、旧薩摩領内としては唯一のものとなっています。

また、流鏑馬が奉納された後、13時30分頃からはかつての戦国島津武士の勇姿を再現する『薩摩日置鉄砲隊』による演武が行われます。火縄銃の轟音と煙が戦国時代の戦場さながらの光景を生み出し、当時の武士たちの息吹を感じることができます。

大汝牟遅神社
鹿児島県日置市吹上町中原東宮内2263
アクセス
車◉指宿スカイライン谷山ICより車で約25分
電車◉JR九州鹿児島本線 伊集院駅から鹿児島交通バス利用 宮内バス停下車徒歩3分


パワースポットとしても有名で幹回り約14m・樹齢千年以上の御神木の他、夫婦銀杏、石が軽く感じると願いが叶うオットゲ石、子産み石、縁結の榊などが境内にあります。
大汝牟遅神社の起源
大汝牟遅命・玉依姫命を主祭神とし、相殿に応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仁徳天皇を祀り、明治以前には大汝八幡宮と称していました。1186年に島津豊後守忠久代が関東より八幡神を観請したとされています。
室町時代には地元を支配していた島津氏分家のひとつ伊作家の尊崇を集めました。現在では吹上町鎮座の神として崇敬されており、県内はもとより全国からパワースポットとしても注目されています。

取材後記…
大汝牟遅神社の境内には千本楠と呼ばれる楠の巨木群があります。10数本の巨大な楠は枝が天にまで伸びるように見え、実際の数よりはるかに多く感じられます。ドラマやCMのロケ地としても登場し、令和5年5月2日に鹿児島県指定文化財の記念物に指定されました。文/邦馬
取材協力・写真提供
伊作流鏑馬保存会
https://www.izaku-yabusame.jp/
大汝牟遅神社
鹿児島県日置市吹上町中原東宮内2263
099-296-5950
一般社団法人 日置市観光協会
鹿児島県日置市伊集院町徳重285番地12
https://hiokishi-kankou.com/
099-248-7380




