ウオッカ
Vodka
牝、2004年4月4日生まれ
父タニノギムレット
母タニノシスター(父ルション)
馬主/谷水雄三氏
調教師/角居勝彦
生産牧場/カントリー牧場
通算成績/26戦10勝
ウオッカの銅像が東京競馬場のローズガーデン内に設置されたのは2014年だった。ウオッカの功績をたたえたい、と馬主の谷水雄三さんがJRAに寄贈した。銅像が設置されるのに東京競馬場ほどウオッカにふさわしい場所はなかった。なにしろGⅠ7勝のうち6勝を東京競馬場で挙げたのだ。ウオッカが「府中の申し子」「東京の女王」と呼ばれたゆえんだ。
ウオッカが初めて東京競馬場で手にした勝利が日本ダービーだった。2007年5月27日、18頭の出走馬の中でただ1頭の牝馬だったウオッカは四位洋文騎手の手綱に導かれ、中団を進んだ。最後の直線で33秒0という驚異の末脚を発揮。2着のアサクサキングスに3馬身差をつける完ぺきな内容で優勝した。日本ダービーの牝馬優勝は1937年のヒサトモ、43年のクリフジに次ぐ史上3頭目の記録で64年ぶりの快挙だった。父タニノギムレットに続く親子2代制覇はダービー史上5組目で、父娘という組み合わせは初めてだった。
ダービーの激走で力を使い果たしたかのように、ウオッカはダービーの後、スランプに陥った。同年6月の宝塚記念から翌年5月のヴィクトリアマイルまで実に7連敗を喫する。「ウオッカは燃え尽きたのか」という声も出始めた08年6月、安田記念で見事に復活する。香港から遠征してきたアルマダに3馬身半差をつける完勝だった。復活の白星を挙げたのもまた東京競馬場でのことだった。
夏を休養に充て、秋は毎日王冠から始動して2着。続く第138回天皇賞・秋で競馬史に残るレースの主役となる。先手を奪って逃げたのは同期のライバル牝馬ダイワスカーレットだった。ウオッカとはここまでに4度対戦し、ウオッカが先着したのはチューリップ賞の1度だけ。桜花賞をはじめ、あとの3度はダイワスカーレットに後れを取っていた。武豊騎手が手綱を取ったウオッカはじっくりと中団に構え、最後の直線に勝負をかけた。ゴール前は大接戦になった。ダイワスカーレットが逃げ粘ったか、ウオッカが届いたのか。長い長い写真判定の末、約2㌢差という微差でウオッカが先着していたことがわかった。この歴史的名勝負の舞台もまた東京競馬場だった。
09年は東京競馬場で3つのGⅠ勝ちを加えた。ヴィクトリアマイル、2連覇となる安田記念、そしてジャパンCだ。生涯最後の勝ち星となったジャパンCではオウケンブルースリの猛追をハナ差でしのいだ。その差は天皇賞・秋でダイワスカーレットにつけたのと同じ約2㌢だった。クレオパトラとウオッカの鼻は歴史を変えた。
ウオッカは3年連続で有馬記念のファン投票1位になるほど人気のある競走馬だった。ファンもウオッカの特長をよく知っていた。ファンの間で面白おかしくささやかれていた「格言」が「東京だヨ ウオッカさん」だった。ウオッカといえば東京競馬場。彼女の特長をよくとらえたフレーズだ。島倉千代子が1950年代に大ヒットさせた歌謡曲「東京だヨおっ母さん」のパロディーである。