フサイチコンコルド
Fusaichi Concord
牡、1993年2月11日生まれ
父Caerleon
母バレークイーン(父Sadler‘s Wells)
馬主/関口房朗氏
調教師/小林稔
生産牧場/社台ファーム
通算成績/5戦3勝
フサイチコンコルドは「奇跡の馬」といわれた。いくつもの競馬の常識を覆して、1996年の第63回日本ダービーを制した。
一つ目の常識は、年明けデビューの馬はダービーを勝つことができないという常識だった。2歳戦がなかった戦前をのぞくと、フサイチコンコルド以前に3歳デビューでダービー馬になったのは2頭しかいなかった。63年のメイズイと72年のロングエースだ。ただしロングエースの場合は前年に流行した馬インフルエンザの影響でダービーの日程が大幅に変更され、例年より1カ月以上遅い7月9日に行われたという事情があった。
年明けの1月5日にデビューして、白星を飾ったフサイチコンコルドだったが、ダービーを目指す上では大きな障害だった。
二つ目の常識はキャリアの問題だった。競馬の世界には「10回の調教より1回の実戦」という格言がある。入念なトレーニングも大事だが、実戦から得られる経験は何物にも代えがたいという意味だ。多頭数で争われるダービーともなれば、ライバルたちとの駆け引き、馬群を苦にしない勝負根性などが要求される。そうした走りのテクニックを手に入れることができるのは実戦しかない。
フサイチコンコルドは1月のデビュー戦を勝った後、3月のすみれSにも優勝して、2戦2勝としていたが、予定していたレースに出走することができず、デビュー3戦目がダービーの大舞台となってしまった。
デビューが遅れてしまったのも、3戦目でダービーに臨むことになったのも、原因はフサイチコンコルドの体質にあった。サラブレッドの体温は通常、午前中に38度ぐらいあり、午後は2、3分上がるのが普通だ。ところがフサイチコンコルドは午後に体温が下がる「逆体温」と言われる体質だった。さらには輸送すると体温が上がってしまう体質でもあった。コンディション調整がむずかしい馬だった。
滋賀県栗東トレーニング・センターの小林稔厩舎に所属していたフサイチコンコルドが東京競馬場であるダービーに出走するためには、どうしても長距離輸送を克服しなければならなかった。2戦目のすみれSで優勝した後、ダービーの前哨戦であるプリンシパルSに出走するため東京競馬場に移動したフサイチコンコルドは発熱した。プリンシパルS出走を断念し、栗東トレーニング・センターにUターンした。肝心な時に体調を崩してしまうフサイチコンコルドの目の前からダービーの夢は遠ざかっていった。一計を案じた小林調教師は少しでもスムーズに輸送できるように、ダービーでは深夜に栗東トレーニング・センターを出発する深夜輸送を敢行した。それでも発熱はしたが、到着した日の夕方には平熱に戻っていた。
ダービーでフサイチコンコルドは7番人気だった。競馬の常識ではとても優勝するとはいえない挑戦だった。だがフサイチコンコルドの才能がすべての不安を一掃した。ダンスインザダークにクビ差をつけて優勝ゴールを駆け抜けた。型破りのダービー馬が誕生した。