トウカイテイオー
Tokai Teio
牡、1988年4月20日生まれ
父 シンボリルドルフ
母 トウカイナチユラル
母父 ナイスダンサー
馬主/内村正則氏
調教師/松元省一
生産牧場/長浜牧場
通算成績/12戦9勝
1993年12月26日、トウカイテイオーは16万人の観衆の前で奇跡を起こした。
第38回有馬記念は14頭立てで行われた。1番人気は菊花賞を勝って臨んでいた3歳のビワハヤヒデ。2番人気はジャパンカップを制した4歳のレガシーワールド、3番人気はこの年のダービー馬3歳のウイニングチケットだった。5歳のトウカイテイオーは4番人気にすぎなかった。
それでも過剰人気だと思われた。なにしろトウカイテイオーにとって、この日の有馬記念は実に364日ぶりの実戦だった。前走は前年の有馬記念。ジャパンカップを制したトウカイテイオーは1番人気に支持されたが、まさかの11着に終わった。その後復活を目指していたが、夏を前にして3度目の骨折をしてしまい、1年ものブランクができた。
入念な調教を繰り返して出走にこぎ着けた。当日の体重は474㌔。1年前より14㌔増えていたが太すぎるということはなかった。田原成貴騎手を背にしたトウカイテイオーは4番ゲートからスタートした。好スタートを切ると、いったんは2番手につけるほどの出足を見せた。その後は中団に控え、スパートのタイミングを計った。
2周目の4コーナー。1番人気のビワハヤヒデが早くも先頭に立つ勢いでラストスパートを開始した。すると、その直後にトウカイテイオーが忍び寄っていた。最後の直線は2頭のマッチレースになったが、明らかに脚色はトウカイテイオーが上だった。半馬身前に出たところがゴールだった。
1年ぶりの休み明けでのGⅠ制覇。いまだに破られていない長期ブランク明けのGⅠ勝利記録である。レースを見た誰もが信じられないという顔をしていた。コンビを組んだ田原騎手は感動のあまり涙を流した。「日本の競馬の常識を覆す偉業を成し遂げたテイオーをほめてやってください」
2年前、父のシンボリルドルフと同じように皐月賞、ダービーを無敗のまま制したが、直後に骨折が判明。菊花賞を棒に振り、父に続く三冠制覇は夢と終わった。4歳時の天皇賞は春、秋ともに1番人気を裏切る惨敗だった。この間に2度目の骨折に見舞われた。だがポテンシャルの高さは群を抜いていた。デビュー10戦目にして自己最低の5番人気になったジャパンカップでは鮮やかな走りを見せて優勝。GⅠ3勝目を手にした。そして無念の有馬記念をへて、歓喜の有馬記念とつながる。
トウカイテイオーは馬主の内村正則さんの情熱が生み出したサラブレッドだった。1937年、第6回日本ダービーで優勝したのはヒサトモである。6回目にして初めて牝馬によるダービー制覇となった。優勝タイムは当時のダービーレコードだった。
内村オーナーが初めて所有した競走馬がトウカイクインという牝馬だった。トウカイクインにはヒサトモの血が流れていた。この血統を大切にしたいと考えた内村オーナーはその子孫もずっと「トウカイ」の冠馬名で所有し、走らせた。トウカイクインのひ孫に当たるのがトウカイテイオーである。50年あまりの時を経て、ヒサトモの血がよみがえった。