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2024年11月21日 (木)

1990年 安田記念©スポーツニッポン新聞社

オグリキャップ
Oguri Cap

牡、1985年3月27日生まれ
父ダンシングキャップ
母ホワイトナルビー
母父シルバーシャーク
馬主/小栗孝一氏、佐橋五十雄氏、近藤俊典氏
調教師/鷲見昌勇、瀬戸口勉
生産牧場/稲葉不奈男
通算成績/32戦22勝

 オグリキャップの数あるレースの中で筆者がベストレースだと考えているのが1990年の安田記念だ。

 16頭立ての9番枠からスタートしたオグリキャップはさっと先行集団につけた。背中にいるのは「天才」武豊騎手。デビュー4年目の21歳だった。前年の89年に年間133勝を挙げ、中央競馬の最多勝騎手に輝いていた。オグリキャップとはこれが初めてのコンビだったが、両者の息はぴたりと合っていた。

 3コーナーで3番手、4コーナーで2番手と徐々にポジションを上げ、残り400㍍付近で早くも先頭に立った。ライバルたちが懸命に追いすがるが、その差は詰まらない。従来の記録を1秒以上も更新する1分32秒4という東京競馬場芝1600㍍のコースレコードで優勝してみせた。

 このレースでオグリキャップに敗れた馬たちのその後の成績を見ると、改めてオグリキャップの素晴らしさがわかる。2着のヤエノムテキは5カ月後に天皇賞・秋で1着になる。3着のオサイチジョージは1カ月後に宝塚記念を制した。6着のバンブーメモリーは暮れのスプリンターズSで優勝した。その年にGⅠで優勝するような馬たちが安田記念ではオグリキャップに子ども扱いにされた。しかもオグリキャップは安田記念が前年の有馬記念以来5カ月ぶりの休み明けだった。

 事前に調教でも手綱を取り、感触を確かめていたはずの武豊騎手もレース後、「なぜオグリキャップに苦しめられてきたのかがわかりました」とその潜在能力の高さを認めた。

 生涯最高ともいえるレースを走ったオグリキャップだったが、その後、負のスパイラルに陥ってしまった。宝塚記念で2着、天皇賞・秋では初めて掲示板を外す6着。続くジャパンカップではついに二けた11着に終わってしまった。

 「オグリキャップは終わった」。精彩を欠いた走りの続く実力馬の姿を見て、誰もがそう感じた。そして有馬記念。引退レースと決まっていた。ラストランのコンビは安田記念以来となる武豊騎手になった。レースの3日前、武豊騎手はオグリキャップの追い切りに乗るため、茨城県美浦トレーニング・センターに来た。芝コースでの併せ馬。オグリキャップは半馬身ほど先着して、復調気配を見せたが、全盛期の状態ではなかった。

1990年 有馬記念©スポーツニッポン新聞社

 1990年12月23日、運命のファンファーレが鳴った。16頭立ての8番枠からスタートしたオグリキャップは中団を進んだ。逃げたオサイチジョージが刻むラップは遅く、レースはスローペースになった。ハイペースだと馬の能力差が出やすいが、スローペースは走る技術、騎手との折り合いやリズムを崩さないことなどテクニックが試される。百戦錬磨のオグリキャップにはライバルを上回る経験値があった。ペースが上がった終盤、オグリキャップがポジションを上げた。

 残り200㍍付近で先頭に立つと、ゴール前では再び伸び脚を見せ、追いすがるメジロライアンに4分の3馬身差をつけてゴールした。4番人気まで評価を落としていたオグリキャップの意地の走りだった。

 「強い馬は強いんです」

 レース後、武豊騎手はそう語った。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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