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2024年12月26日 (金)

2005年 皐月賞©スポーツニッポン新聞社

メイショウサムソン
Meisho Samson

牡、2003年3月7日生まれ
父オペラハウス
母マイヴィヴィアン
母父ダンシングブレーヴ
馬主/松本好雄氏
調教師/瀬戸口勉、高橋成忠
生産牧場/林孝輝
通算成績/27戦9勝

 第73代日本ダービー馬メイショウサムソンが2024年11 月26日、天国に旅立った。10月にがんと診断され、治療を続けていたが、最後は心不全。21歳の生涯だった。

 現役時代、メイショウサムソンは「野武士」の愛称で親しまれた。走って走って、戦って戦って、実戦を重ねるごとに強くなっていく姿がそう呼ばせた。

 2005年7月、小倉競馬場でデビューした。デビュー3戦目でようやく初白星を挙げると、4戦目の野路菊Sも快勝した。萩S(4着)、東京スポーツ杯2歳S(2着)とレースを重ね、12月の中京2歳Sをレコードタイムで勝利した。7月のデビューから5カ月足らずの期間に7戦した。トップクラスの馬ほどレース間隔をあけて走る現代では異色のキャリアだ。

 クラシックへ向けた3歳の初戦は、きさらぎ賞を選択。ドリームパスポートの2着になると、皐月賞の前哨戦、スプリングSに駒を進めた。ゴール前は3頭が横一線に並ぶ接戦となり、クビ差、ハナ差という競り合いに勝ち、重賞初制覇を果たした。

 迎えた皐月賞。前哨戦のスプリングSで優勝しても、地味で派手さのないメイショウサムソンは6番人気の伏兵扱いだった。「野武士」のイメージはデビュー以来ずっとコンビを組んできた石橋守騎手とも重なった。1985年にデビュー。メイショウサムソンとのコンビが始まった05年に21年目を迎えていた。通算400勝を超え、重賞も8勝していたが、GⅠタイトルとは無縁の「いぶし銀」のような存在だった。

2007年 天皇賞(秋)©スポーツニッポン新聞社

 そんなコンビがそつのないレース運びで皐月賞を制した。人馬ともにGⅠ初勝利だった。皐月賞の勝利でようやくファンのメイショウサムソンを見る目も変化した。続くダービーでは1番人気に支持された。メイショウサムソンと石橋守騎手はいつものようにリラックスして走った。逃げるアドマイヤメインを追って最後はクビ差で競り落とし、史上15頭目の皐月賞、ダービーの2冠に輝いた。小倉競馬場でデビューした馬のダービー制覇は史上初めてだった。ダービーがデビュー11戦目というキャリアの多さは90年以降では、94年のナリタブライアンと並ぶ最多記録だった。

 秋の天皇賞では武豊騎手との新コンビで優勝した。それまでの18戦、ずっと手綱を取ってきた石橋騎手からのバトンタッチには理由があった。この年、メイショウサムソンはフランスの凱旋門賞に挑戦する計画だった。そのためにはフランス競馬に精通する武豊騎手の力が必要という判断だった。松本好雄オーナー、石橋守騎手、武豊騎手の3者が合意の上での変更だった。しかし馬インフルエンザが発生し、メイショウサムソンも感染したため凱旋門賞遠征は中止された。ただ一度決めた乗り代わりは約束通りに実行された。08年、1年遅れで凱旋門賞に出走したが、4歳のころの力はなかった。10着でゴールした。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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