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2024年11月21日 (木)

 応援した馬が牧場に戻る。そこから数年後、父や母の面影を残した子がターフに現れる…。これは競馬の大きな魅力だ。筆者も、その喜びをいくつか味わってきたが、今回はその“最初の例”を紹介したい。

 1991年の牝馬クラシック戦線にスカーレットブーケという馬がいた。伊藤雄二厩舎のノーザンテースト産駒。当時トップクラスの組み合わせである。

 この年の3歳牝馬戦線はハイレベルだった。まずはイソノルーブル。今はもうない「抽選馬」制度の1頭でデビューから3連勝。1番人気の桜花賞ではレース前に落鉄したが、興奮して蹄鉄を打たせず、そのまま発走して5着。続くオークスは見事逃げ切ってリベンジを果たした。

91年クイーンCを武豊を背に制したスカーレットブーケ©スポーツニッポン新聞社

 ノーザンドライバーも強かった。牝馬限定の新馬戦を勝ち上がったが、その後は牡馬と戦って地力を強化。デイリー杯3歳S、ペガサスSと重賞を連勝して桜花賞に臨んだ。

 そしてシスタートウショウ。鞍上は当時売り出し中の角田晃一(現調教師)。父トウショウボーイから受け継いだすらりとした馬体が目を引いた。

 そこにスカーレットブーケを加えた“4強”が桜花賞前の構図だった。

 自分がスカーレットブーケに注目したのは、姉のスカーレットリボンという馬が好きだったから。「真っ赤なリボン」という馬名が美しく、鋭いスタートダッシュから後続を寄せ付けずに逃げ切るレースぶりも良かった。桜花賞で1番人気となったが距離延長をこらえきれず12着に大敗。妹スカーレットブーケが桜花賞で姉の無念を晴らすシーンを見たいと思った。

 結果を言えば、スカーレットブーケは桜花賞4着。オークスは5着、今でいう秋華賞に当たるエリザベス女王杯は3着に終わり、その後もGⅠに手が届かなかった。それでもGⅢ4勝を挙げ、常にレースを盛り上げた。ちなみに桜花賞を勝ったのはシスタートウショウだった。

 牧場へと戻ったスカーレットブーケ。トニービンやサンデーサイレンスといった当時の一流種牡馬を次々とつけられた。仲間内でのPOGでも常に産駒を指名。スリリングサンデーやグロリアスサンデーは重賞には手が届かないまでも通算5勝を挙げ、「さすがスカーレットブーケ」と感心した。

 だが、スカーレットブーケの母としての能力はそんなものではなかった。ダイワルージュがついに重賞(新潟3歳S)を制する。そして01年生まれからGⅠ5勝馬ダイワメジャー、04年生まれからダイワスカーレットが出現した。

08年有馬記念を勝ったダイワスカーレット。安藤勝己騎手のポーズも決まった©スポーツニッポン新聞社

 母と同じ栗毛のダイワスカーレットを初めて取材した時は感動した。「あのスカーレットブーケの子か」と、しみじみ思った。

 スカーレットブーケの3歳時、筆者は大学生。都内のラジオ局でアルバイトをしていた。担当番組の週1回のゲストが井崎脩五郎さん。今思えば赤面ものだが「今年の牝馬クラシックは面白いですね。僕はスカーレットブーケが好きです」と井崎先生に話した。生意気にも程があるが、先生は優しく答えてくれた。「好きになった牝馬は引退後も追いかけた方がいい。そのうち鈴木さんにいいことをもたらしてくれるよ」

 先生の言葉は真実だった。スカーレットブーケはダイワスカーレットを送り出し、筆者はダイワスカーレットとウオッカが死闘を演じた天皇賞・秋の原稿を書くことができた。こんな“いいこと”が待っていたとは。今振り返れば、夢のような話である。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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