応援した馬が牧場に戻る。そこから数年後、父や母の面影を残した子がターフに現れる…。これは競馬の大きな魅力だ。筆者も、その喜びをいくつか味わってきたが、今回はその“最初の例”を紹介したい。
1991年の牝馬クラシック戦線にスカーレットブーケという馬がいた。伊藤雄二厩舎のノーザンテースト産駒。当時トップクラスの組み合わせである。
この年の3歳牝馬戦線はハイレベルだった。まずはイソノルーブル。今はもうない「抽選馬」制度の1頭でデビューから3連勝。1番人気の桜花賞ではレース前に落鉄したが、興奮して蹄鉄を打たせず、そのまま発走して5着。続くオークスは見事逃げ切ってリベンジを果たした。
ノーザンドライバーも強かった。牝馬限定の新馬戦を勝ち上がったが、その後は牡馬と戦って地力を強化。デイリー杯3歳S、ペガサスSと重賞を連勝して桜花賞に臨んだ。
そしてシスタートウショウ。鞍上は当時売り出し中の角田晃一(現調教師)。父トウショウボーイから受け継いだすらりとした馬体が目を引いた。
そこにスカーレットブーケを加えた“4強”が桜花賞前の構図だった。
自分がスカーレットブーケに注目したのは、姉のスカーレットリボンという馬が好きだったから。「真っ赤なリボン」という馬名が美しく、鋭いスタートダッシュから後続を寄せ付けずに逃げ切るレースぶりも良かった。桜花賞で1番人気となったが距離延長をこらえきれず12着に大敗。妹スカーレットブーケが桜花賞で姉の無念を晴らすシーンを見たいと思った。
結果を言えば、スカーレットブーケは桜花賞4着。オークスは5着、今でいう秋華賞に当たるエリザベス女王杯は3着に終わり、その後もGⅠに手が届かなかった。それでもGⅢ4勝を挙げ、常にレースを盛り上げた。ちなみに桜花賞を勝ったのはシスタートウショウだった。
牧場へと戻ったスカーレットブーケ。トニービンやサンデーサイレンスといった当時の一流種牡馬を次々とつけられた。仲間内でのPOGでも常に産駒を指名。スリリングサンデーやグロリアスサンデーは重賞には手が届かないまでも通算5勝を挙げ、「さすがスカーレットブーケ」と感心した。
だが、スカーレットブーケの母としての能力はそんなものではなかった。ダイワルージュがついに重賞(新潟3歳S)を制する。そして01年生まれからGⅠ5勝馬ダイワメジャー、04年生まれからダイワスカーレットが出現した。
母と同じ栗毛のダイワスカーレットを初めて取材した時は感動した。「あのスカーレットブーケの子か」と、しみじみ思った。
スカーレットブーケの3歳時、筆者は大学生。都内のラジオ局でアルバイトをしていた。担当番組の週1回のゲストが井崎脩五郎さん。今思えば赤面ものだが「今年の牝馬クラシックは面白いですね。僕はスカーレットブーケが好きです」と井崎先生に話した。生意気にも程があるが、先生は優しく答えてくれた。「好きになった牝馬は引退後も追いかけた方がいい。そのうち鈴木さんにいいことをもたらしてくれるよ」
先生の言葉は真実だった。スカーレットブーケはダイワスカーレットを送り出し、筆者はダイワスカーレットとウオッカが死闘を演じた天皇賞・秋の原稿を書くことができた。こんな“いいこと”が待っていたとは。今振り返れば、夢のような話である。