ディープインパクトの番記者をしていた関係で、管理していた池江泰郎元調教師からは、いろいろな話を聞かせていただいた。
最も印象深いのはディープインパクトが引退レースに臨む数日前だったか、師がぽつりとつぶやいた一言だ。
「小柄な馬が、いつも僕に幸せをくれたんだ」
小柄な馬。もちろん、まずはディープインパクトのことである。デビュー戦が452キロ。そこから増えることはなく、引退戦の06年有馬記念は438キロだった。500キロ超えが当たり前の現代競馬において、常に450キロを切りながら、ここまで成績を残し続けるスーパーホースは画期的だった。牡馬としては「小柄」と表現してもいいだろう。
池江泰郎元調教師にとって感謝してもしきれない「小柄な馬」がもう1頭いる。メジロオーロラ。池江泰郎厩舎に所属し、86年菊花賞、87年有馬記念を制したメジロデュレン。そして90年菊花賞、91年天皇賞・春などGⅠを4勝したメジロマックイーンの母である。
池江泰郎元調教師は騎手として重賞17勝を挙げるなど活躍した後、78年、調教師免許を取得。翌年、開業した。
「僕の厩舎は最初、成績が上がらなくてね」。同氏はそう語った。オープン馬の宝庫だった晩年からはとても信じられないが、資料を見ると確かに目立つ成績ではない。
開業初年度(79年)は0勝。出走回数がわずか29回なので仕方なかったのだろうが、翌年からも9勝、4勝、9勝と、月に1度勝つか勝たないかという低空飛行が続いた。
その頃、厩舎にいたのが78年生まれの小柄な牝馬メジロオーロラだった。通算24戦1勝。ただ、その1勝も当時の池江泰郎厩舎にとっては貴重な勝ち星だったに違いない。
しかし、このメジロオーロラが牧場に帰って大仕事をやってのける。初年度産駒は母同様、池江泰郎厩舎へと入厩した。名はメジロデュレン。10戦目に86年菊花賞を勝ち、池江氏に初のGⅠタイトルをもたらした。池江泰郎厩舎は85年に重賞2勝を挙げていたが、この菊花賞制覇で一流厩舎への確かな足がかりをつかんだ。
「メジロオーロラは地味で風格もなくて、1勝しかしなかったけど、牧場に戻ったら、すぐにメジロデュレンを僕の厩舎に送り込んでくれた。あの小さな牝馬(メジロオーロラ)のおかげで僕の厩舎は何とかなったんだ」
遠くを見やりながらメジロオーロラを懐かしみ、感謝したあのシーンは忘れられない。
メジロオーロラの大仕事はまだ続く。87年には歴史的名馬メジロマックイーンが誕生。母、兄と同様、池江泰郎厩舎へと入り、厩舎の名声を不動のものとした。
その後にメジロ牧場がなくなってしまったことは残念至極だが、メジロオーロラの恩返しはまだ続いている。メジロマックイーンは種牡馬となり、母の父としてオルフェーヴルを送り込んだ。オルフェーヴルを管理したのは池江氏の長男、泰寿師。見事、11年にクラシック3冠を達成した。
そしてオルフェーヴルは父としてウシュバテソーロ(23年ドバイワールドC)、マルシュロレーヌ(21年ブリーダーズCディスタフ)を送り出し、日本競馬が世界最高レベルに到達したことを証明してみせた。
池江泰郎元調教師の人生を変えたメジロオーロラ。その「小柄な馬」は日本競馬の歴史すらも変えたと言えるのかもしれない。