ノド鳴りの手術を乗り越え、復帰初戦のダービー卿チャレンジトロフィーを快勝したダイワメジャー。その後は2度のGⅡ制覇こそあったが、GⅠでは2着が最高。あとひと押し、飛躍のきっかけが欲しかった。
その時は突然、訪れた。06年10月26日。天皇賞・秋への追い切りを前日に終えたダイワメジャー。飯田直毅助手がまたがると、これまで感じたことのない背中の感触があった。「何だこれ…」。柔らかく、それでいて一本、ビシッと芯が通っているような感覚。ゾクッときた。
「あまりに凄い感触で誰にも言うことができなかった。口にしてしまうと自分にプレッシャーが掛かってしまうと思った」
迎えた天皇賞。楽に2番手につけたダイワメジャーは残り400mで早々と先頭に立って押し切った。皐月賞以来のGⅠ制覇。上原博之調教師は万感の思いだった。「当時は手術をしてGⅠを勝った馬はいなかった。喘鳴症になったら、もう終わりというイメージもあった。それを覆せた。同じ症状に苦しむ馬に希望を与えることができた。それがうれしかった」
そこから先はマイルの王者として文字通り君臨した。06年マイルCS、07年安田記念、07年マイルCSと国内マイルGⅠを3連勝した。06年マイルCSを筆者は京都競馬場の調教師席付近で観戦したが、あるライバル調教師がダイワメジャーの快勝劇を見て「これはかなわない」と思わずつぶやいた。着差は「クビ」でも、プロの目からは明らかに2着馬とは実力差が感じられたのだ。
この頃、美浦のWコースで見せる動きは、まさに破格だった。直線、四肢は這うように伸び、トップスピードで驚くほどに沈み込んだ。その鬼気迫る動きはスタンドから見ていても震え上がるものだった。
しかし、だ。追い切りの感触を聞こうと上原博之厩舎で待ち、数十分後に飯田直毅助手を背にして戻ってくるダイワメジャーの表情は柔和で、目つきは優しかった。オンとオフがはっきりと切り替えられるようになっていた。
「元々が神経質だから他馬がいない場所を選んで運動させているんだ。何というか、2人だけの世界だね。楽しいよ、そんなひとときは」。恐らく、飯田直毅助手はダイワメジャーに話しかけ、馬との会話を楽しんでいたことだろう。
ダイワメジャーの素晴らしかった点をもうひとつ。06、07年とも有馬記念に出走したことだ。距離不向きは承知だが、投票してくれるファンの期待に応えたかった。特に、07年には妹のダイワスカーレットとの兄妹対決が実現した。そして、ダイワメジャーは、この2年とも3着に食い込み、期待に応えてみせた。ダイワスカーレット(2着)に花を持たせ、ダイワメジャーは引退した。
と、物語はここで終わらない。引退戦となった有馬記念の翌々日、ダイワメジャーにまたがった飯田直毅助手は「あっ」と声を上げた。天皇賞前に味わったあの背中。あの感触を引退した背中から感じたのだ。「思わず声が出ましたね。牧場に帰るのが本当にもったいないと思いました」
競走生活のスタートは破天荒で型破りだったが、晩年は乗り手と心を合わせる従順で心優しきサラブレッドとなったダイワメジャー。筆者も多くのことを学ばせてもらった1頭だった。