今週は阪神ジュベナイルフィリーズ。といえば、ソダシである。20年、ハナ差の接戦を制し、白毛馬のGⅠ初制覇をやってのけた。函館での新馬勝ちから4戦無敗での2歳女王。ここから「ソダシフィーバー」とも「白毛旋風」とも言われる、いわゆるソダシブームが本格化した。
勝ちっぷりは今見ても実にしぶとい。5番手付近を追走し、残り300m付近で馬群から抜け出した脚は見事の一言だ。最後はサトノレイナスの強襲を受け、一瞬、かわされたようにも見えるのだが、最後はわずか4センチ、ソダシの白い鼻が前に出ていた。
当時は中央競馬担当デスクだった筆者。シラユキヒメを祖とする白毛一族の血統図は何度描いたか分からない。シラユキヒメの白毛は突然変異だが、そこから先の一族は遺伝子のルールに従って白毛(または別の毛色)として生まれており、毛色を決める「顕性白毛遺伝子」の勉強もした。中学や高校時代、「生物」は嫌いな科目だったが、仕事として追い込まれると、しっかり頭に入るのは不思議だった。
白毛フィーバーの始まりは、79年生まれのハクタイユーだ。調べると、ソダシ並みの人気を集め、同馬を歌ったレコードまで発売されたという。ただ、筆者はまだ小学生か中学生。中央で4戦したそうだが、当時の新聞も社内には残っていなかった。
だから、シラユキヒメが誕生し、中央で走ると決まった時にはワクワクした。ここで1つ失敗談を。シラユキヒメが美浦トレセンに入厩し、初めてコースへと入った日、筆者は後藤由之調教師の話を聞いて原稿にまとめた。カメラマンも「真っ白くてきれいだな」と満足そうだった。
しかし、だ。翌朝のN紙を見て、膝から崩れ落ちた。最強ライバル紙は競馬面を異例ともいえるカラー面にして、シラユキヒメの勇姿を大きな写真で扱っていた。「この手があったか」。スポニチの競馬面はモノクロ。白毛であることは分かるが、その差は歴然としていた。
当時は今のようにカラー面を何枚も設定できなかった。ライバル紙の記者に恥を忍んで事情を聞くと「シラユキヒメを狙って1週間ほど前から、競馬面をカラーにできないか交渉してもらっていたんだ。たまたま、うまくいっただけだよ」。こちらに気を使ってくれるのが、かえってつらい。スクープを1本、抜かれた気分だった。
白毛馬をめぐる、当時のトレセンの雰囲気も記しておこう。今となっては全くの間違いであると分かるのだが、「白毛馬は体質が弱い。とても大成しない」という声は大きかった。白い馬体が不健康そうに見えたのだろうか。そのような声は07年4月にシラユキヒメの子ホワイトベッセルがJRA白毛馬初勝利を挙げるまで、トレセン内に存在していたように記憶する。
「白毛を見ると馬がびっくりする、勘弁してほしい」という声も多かった。まあ初めて真っ白な馬を見たら、馬も驚くかもしれないが…。白毛馬がGⅠを勝つことが珍しくなくなった今、隔世の感がある。
いや、今も白毛馬は他の毛色の馬に気を使っているかもしれない。11月3日にアルゼンチン共和国杯を勝ったハヤヤッコは、パドックで常に最後方を周回している。他馬がイレ込まないように、という意味もあるのだろうか。
金子真人氏が長い年月をかけて作り上げた白毛一族。外国人騎手が白毛馬を見て喜ぶ様子も何度か見てきた。白毛は日本競馬が世界に誇る文化と言っていいだろう。