正月に24年のGⅠ競走VTRを改めてひと通り見直し、あることを思った。
皐月賞・ジャスティンミラノ=友道康夫厩舎
NHKマイルC・ジャンタルマンタル=高野友和厩舎
天皇賞・秋・ドウデュース=友道康夫厩舎
エリザベス女王杯・スタニングローズ=高野友和厩舎
ジャパンC・ドウデュース=友道康夫厩舎
朝日杯FS・アドマイヤズーム=友道康夫厩舎
友道厩舎と高野厩舎でGⅠを6勝。友道康夫師と高野友和師は、ともに松田国英厩舎(すでに解散)の出身だ。ファンからも“マツクニ”と呼ばれ親しまれた厩舎が、いまだに中央競馬に大きな影響を及ぼしていることに驚きを隠せない。今回は松田国英厩舎について、筆者が体験したことを記しておきたい。
松田国英厩舎の開業は96年(免許取得は95年)。筆者も中央競馬担当となったばかり。同じ“新規”ということで親近感が湧き、開業したての厩舎を訪ねた。
どう見ても若造の記者をのちの大調教師は歓待してくれた。そして、改修してピカピカの厩舎を自ら案内した。「だいぶお金を使いましたよ。銀行から結構借りました。これでうまく厩舎を経営できなかったら、僕は大変なことになります」。馬房が美しく機能的なのは言うまでもないが、確か洗い場も改造してスペースを広げていたように記憶する。相当にお金がかかっていたことは容易に想像できた。そして、そのことをマスコミ相手でも隠さない松田国英師に非常に好感が持て、好奇心が湧いた。
そこからは栗東に出張するたびに“マツクニ詣”をした。各スポーツ紙、夕刊紙には、だいたい“マツクニ番”がおり、そのメンバーは、いつも変わらなかった。
なぜか。松田国英師は記者が集まると、全員を事務室へと引き入れ、コーヒーを振る舞ってくれる。そして、先週の競馬から今週の出走馬の話を1頭ずつ丁寧に解説する。そこから話はヒートアップして多岐に及び、先週の競馬で目を引いた他厩舎の馬、馬と接して思ったこと、世間のトレンド…と、とめどなく展開していく。
コーヒーカップはすでにすっからかんだが、それでも師と番記者のトーク大会は止まらない。いや、ほとんどの時間は師がしゃべっていたか。時間はゆうに30分を経過した。1時間以上やっていたこともあったように思う。
業務を多く抱え、時間に追われる記者は多い。それでも松田国英厩舎に行くということは、松田国英師の厩舎経営に大きな興味があるということだ。そして自然と、そういう目の付け所のいい記者しか集まらなくなっていった。ハイレベルなサロン、と表現したら格好良すぎるか。筆者はこのミーティングでだいぶ競馬の知識が増え、成長できた。
松田国英師は「番頭」を作る名人だった。歴代番頭が凄い。角居勝彦助手、友道康夫助手、高野友和助手。そう、のちに調教師となって輝かしい戦績を残す人ばかりである。
角居勝彦師は調教師に転身してウオッカを送り出し、松田国英厩舎のダイワスカーレットの前に何度も立ちはだかった。08年天皇賞・秋。2頭による火の出るような追い比べからのハナ差決着は今も語り草だ。
かつての弟子に悲願を阻まれる…。だが、そのことに関して松田国英師は冷静に受け止めていた。角居勝彦師に対しては、独立した以上はライバル。それ以上でもそれ以下でもない、と思っていた。そして引き続き、優秀な番頭を育て「早く調教師試験に合格して独立せよ」と尻を叩き続けた。いずれ自分の強敵となることを覚悟しながら…。日本競馬のために、大局から物事を見ていた。
松田国英師が日本競馬に果たした役割は大きかった。今、改めて思う。