今週の京都メーンはきさらぎ賞。過去の優勝馬で筆者がいの一番に思い出すのは95年優勝馬スキーキャプテンだ。
半姉は94年京王杯スプリングCを快勝し、同年ムーラン・ド・ロンシャン賞を武豊騎手騎乗で勝つスキーパラダイス。凄い血統の馬が日本で走るものだとデビュー前から注目された。
前評判通りに新馬、京都3歳S(当時オープン)を連勝。朝日杯3歳Sは外から追い上げたが、内を抜けたフジキセキに首差届かず2着。だが、通ったコースの差を考えれば、十分に強さを示した形。当時、クラシックに出走権のなかった外国産馬ということもあり、陣営は米3冠レースへの挑戦を表明した。
そして迎えたきさらぎ賞。ファンは何と元返しの単勝1.0倍に支持した。
しかし、道中は折り合いひと息。直線で大外に出し、まさに桁違いの決め手で差し切った。
このレースの動画がネット上に残っているので見てほしい。直線を向いて内の逃げ馬をカメラがアップにしたところ、関西テレビ・杉本清アナウンサーはこう叫ぶのだ。「一番外、一番外、おっと画面外だ外だ、外を見せてくれ」。その実況に応え、カメラも大外のスキーキャプテンをアップにした。
このシーンは強烈に覚えている。アナウンサーが声に出すと、カメラワークって切り替わるのかと、ひとつ勉強になった。
この後、毎日杯を使ってから渡米するプランが明かされたスキーキャプテン。だが、アクシデントがあったようで毎日杯を使うことができず、ケンタッキーダービーへと直行した。万全の状態で挑むことができなかったスキーキャプテンは19頭立ての14着。日本調教馬初のケンタッキーダービー挑戦は、ほろ苦い結果に終わったのである。
筆者は、この偉大なチャレンジを見届けたくて、休暇を取って渡米した。当時は競馬記者になる前で、社内で紙面を制作する業務に当たっていた。
初めて見たケンタッキーダービーは凄かった。チャーチルダウンズ競馬場の熱気は半端なかった。男性も女性もこれでもかとばかりに着飾っていた。ある女性の帽子は広いつばの部分が丸ごと競馬場のダートコースを模していて、数頭の馬が走っていた。写真を撮っておけば、ここで披露できたのに、と惜しまれる。そして、本当にみんなが「ミント・ジュレップ」を飲んでいた。
筆者は競馬週刊誌が企画したツアーに申し込んで渡米したのだが、ツアーの行程にケンタッキー州の種馬場を訪ねる、というものがあった。何頭かの種牡馬を見せてもらったのだが、最も心をつかまれたのはダンチヒ(ダンジグともいう)だった。
引き出されてきた種牡馬の中でも飛び抜けて小柄なのだが、目つきが他馬とは全く違っていた。「おう日本人さんよ、オレのことは当然、知っているよな」とでも言っているようなまなざし。同行した通訳を通じて「今まで見た馬の中で一番、視線が鋭い」と牧場関係者に話すと「その気持ちの強さがこの馬を超一流にした」と教えてくれた。納得できた。
筆者は、競馬記者になりたくて入社したことを改めて思い出し、社に希望を出して翌年、競馬担当へと異動した。スキーキャプテンがいなかったら、ダンチヒがいなかったら、違う人生を歩んだかもしれない。
スキーキャプテンの挑戦からまもなく30年が経過するが、改めて感謝したい。