ダービーウイーク。競馬記者なら誰もが気持ちがピリッと引き締まる週である。当てる、当てないではなく、どれだけ関係者たちの熱い思いを引き出せるか。そしてそれをしっかり読者に伝えられるか。取材者としての地力を問われる週だ。もちろん、的中すれば喜びも膨らむ。
筆者にとって、会心の取材ができたのは04年、キングカメハメハが勝った時だった。ダービーウイークが始まる前、ある偶然がきっかけで大きなアドバンテージを得ることができた。
それはキングカメハメハがNHKマイルCを5馬身差つけて快勝し、3日が経過した水曜日の栗東トレセンだった。

日が高く昇り、調教スタンドに誰もいなくなった頃。たまたま騎乗者控室をのぞくと、安藤勝己騎手が帰宅の準備をしていた。これは大チャンスだ。そう思うか思わないかのうちに、反射的に話しかけていた。
「アンカツさん、キングカメハメハならダービーも勝ちますね」。即座に返事が返ってきた。「ああ、勝てるね。キングカメハメハなら勝てる」
あまりのストレートな言葉に鼓動が早まるのを感じた。「ただ、ね」。安藤騎手は注釈を入れてきた。「俺が普段通りに乗れれば、という条件がつく。ダービーでも、まるで未勝利戦のように乗れるか。そこに懸かっている」
筆者にとってのダービーの焦点は決まった。安藤勝己騎手がダービーの大舞台で、まるで未勝利戦かのように冷静に乗れるか。乗れたら勝つ、舞い上がったら負ける。その1点だ。
迎えたダービーデー。午前中から気温がぐんぐん上がった。選ばれた18頭の優駿がパドックを回る頃、気温計は32度を指していた。
マイネルマクロスが飛ばして1000メートル通過は57秒6。大一番は消耗戦となった。こういう展開こそ真っ向勝負。小細工せずにねじ伏せるのがふさわしい。アンカツさんは自らのポリシー通りに、直線を向いたところで堂々と先頭に立った。

四肢をいっぱいに動かして踏ん張るキングカメハメハ。ハイアーゲームが来た。だが残り150メートルで振り切る。そのタイミングを待っていたかのように横山典弘騎手のハーツクライが飛んできた。死力を振り絞るキングカメハメハ。アンカツの右手が上がった。キングカメハメハは先頭でゴール板を駆け抜けていた。
「勝って当然と思っていたからね。厳しい流れだから必死で追ったよ」。汗を拭って安藤騎手は会心の表情を見せた。
果たしてアンカツさんは平常心でいられたのだろうか。ゆかり夫人がこんなことを教えてくれた。
数日前、自宅でなにげなく「ダービー、勝てるといいね」と話しかけた。いつもなら笑みを返してくるはずのアンカツさんが「あまり言われると硬くなるから、やめておけ」と声を硬くしたという。
夫人はそこからダービーについて話すことを一切やめた。そして主人に黙ってゲンかつぎをした。左手薬指に「カメハメハ」を意識して亀が装飾された指輪をつけた。左手中指の爪には「キング」よろしく王冠のネイルを施した。
表彰式、インタビュー、イベント。祭りの全てが終わり、記者があらかた引き揚げた後、筆者はそっとアンカツさんに近づき、握手をかわしてこう聞いた。「未勝利戦のように乗れました?」「乗れたよ。ダービーであっても、1番人気であっても平常心で乗れた。自分でも驚いた」
アンカツさんは自分との闘いに勝ち、第71回ダービーの頂点に立ったのだった。