UMATO

2025年11月04日 (火)

 前回のイクノディクタスに続き、オールカマーにゆかりのある牝馬を紹介したい。長く歴史のあるこのレースの中でも、とびっきりの衝撃だった一戦。97年オールカマーを制したメジロドーベルだ。

 当時まだ3歳。3歳牝馬のオールカマー優勝は33年ぶり3頭目。また、この馬を最後に3歳牝馬の出走はない。中山に紫苑Sができたことは大きな理由のひとつだが、だからといってメジロドーベルの快挙が色あせる理由にはならない。

 阪神3歳牝馬S(当時)、オークスを制したメジロドーベルが秋の始動戦に選んだのはオールカマー。手元に資料はないが、「ローズS、秋華賞と短期間に2度、長距離輸送することは避けたい」、「ローズSより1週、先に行われるので秋華賞への間隔が取れる」といったあたりが理由だったと思われる。

 ため息の出るようなレースぶりだった。ゲートが開いた瞬間に首を上げ、スタートで遅れた。前を行く馬たちのペースも上がらない。最初の200メートルは13秒1。スローの流れを嫌ったのか、メジロドーベルは1コーナー手前からぐんぐん加速。外から抑え切れない勢いで先頭に立った。

97年オールカマーを制したメジロドーベルと吉田豊騎手©スポーツニッポン新聞社

 嫌な記憶が頭をよぎる。3着に失速した春のチューリップ賞。前半の遅い流れにメジロドーベルは口を割り、頭を何度も上げて抵抗。折り合いを欠いて、ラストの伸びを失った。

 しかし、吉田豊騎手は慌てていなかった。「先頭に立ったら、うまくハミが抜けた。もうこれで大丈夫と思った」。ドーベルもひと夏を越し、成長していたのだ。

 先頭をキープし続けたメジロドーベルに4角を迎えて後続が迫る。しかし、吉田豊騎手の手綱はがっちりと抑えられたままだ。ホウエイコスモスが脚を失って下がる。インから迫ったバーボンカントリーも坂で体力を削られて後退した。坂上でヤシマソブリンが迫ったが、吉田豊騎手にはこの馬を振り返って確認する余裕があった。3歳牝馬は完勝を収めた。

 「秋華賞は京都の内回りだからね。前でも競馬ができたことは収穫です」。1角で先頭を奪いにいったことは作戦のひとつだった。本番の次走も見据えていた吉田豊騎手の言葉が頼もしかった。

 大久保洋吉師もこう話した。「抑え切れない時はハナを切る競馬も頭にあった。いい意味でファイティングスピリットにあふれていたよ」。味のある表現で、その勝ちっぷりを称えた。

 続く秋華賞は単勝1.7倍の圧倒的1番人気。2馬身半差の快勝を収め、メジロドーベルは無事2冠に輝いた。オールカマー起用は最終的に吉と出た。

 ところでメジロドーベルといえば以前、田中一征さんがコラム「馬噺」にて取り上げていた(「心の師匠」24年8月12日)。その中に担当の安瀬良一厩務員が登場した。

 安瀬さんは当時、まだ駆け出し記者だった自分にも優しく接してくれた。仕事熱心で、いつも汗びっしょりになりながら、ねじり鉢巻き姿で馬を磨き上げていた。

 安瀬さんに話を聞いたのは主に京都競馬場。秋華賞やエリザベス女王杯に出走する際、美浦からの到着時や、土曜朝の調教後に馬房で馬の様子を聞いた。「状態?素晴らしいね。文句なし。これで負けたら仕方ないと思える出来だよ」。額に汗をにじませながら、自信たっぷりに言い切る姿に「これが職人というものだなあ」とホレボレしながら聞き入った。

 今も秋の京都といえば、安瀬さんの明るい笑顔をすぐに思い出す。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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