秋華賞も名勝負の数々を現地で見てきたが、01年優勝馬テイエムオーシャンは思い出深い1頭だ。
前年夏は札幌に長期滞在し、2歳馬を徹底的に取材した。その中からジャングルポケットがダービーを制し、メジロベイリーが朝日杯3歳ステークス(当時)を勝った。一方でタガノテイオーは志半ばで故障に散った。

その中にテイエムオーシャンもいた。札幌3歳ステークス(当時)はジャングルポケットの3着。そこからは阪神3歳牝馬ステークス(当時)、チューリップ賞、桜花賞と3連勝。無敵の進撃を続けたが、オークス(1着レディパステル)で3着に敗れていた。
前年札幌組の牝馬のエース。この年の秋華賞取材は自分から希望したように記憶する。テイエムオーシャンの主戦・本田優騎手(現調教師)とじっくり話したかった。
1番人気のオークスで3着に敗れた後、本田騎手は「ジョッキーが悪かったと書いておいてくれ」と話した。ただ、母の母が85年桜花賞馬ながらオークスでは距離の壁にぶつかって15着だったエルプス。テイエムオーシャンにとって2400メートルは長かったことは明白だ。そのことに言及しなかったのは、なぜなのか。
「それでも敗戦はやはり騎手に責任がある。負けはしたが、これで距離にメドは立ったと思ったし、もう1度走れば2400メートルもこなすと思うよ」
本田騎手は言葉に責任を持ちつつ、自分で言える範囲の精いっぱいの言葉を取材者にくれる。筆者は北海道でも栗東でも、本田騎手を心から信頼して取材に当たっていた。
舞台は京都内回り。作戦は決まっているのかと聞いた。「この馬のペースで走れば必ず勝つ。だから、ハイペースで逃げる馬がいても追いかける気はない」。前年は10番人気ティコティコタック、その前は12番人気のブゼンキャンドルが勝った。伏兵台頭の余地がある一戦なのか、とも聞いた。「荒れてるねえ。でも、今年荒れるとすればオーシャンが1着で、2着に伏兵が来る、というケースだろう」
最後に本田騎手は「この馬は化け物だからね。まあ、見ていなよ」と語った。筆者は本田騎手を背に重賞を制した馬の名を数頭挙げ、「これらの馬たちより強いですか?」と聞いた。「間違いなく強い」。「それ、書いていいですか?」「いい」
言葉に責任を持つ男は、最高のリードでテイエムオーシャンを秋華賞馬へと導いた。3番手追走から直線を向き、サッと先頭に立つ。後続を引き離す脚は素晴らしいものがあった。内からローズバドが切れ味鋭く追い上げたが、4分の3馬身差、テイエムオーシャンが抑え込んでいた。2冠が成った瞬間だった。
お立ち台で本田騎手が胸を張った。「今までで一番、折り合いがついた。ゴーサインに反応する1歩目で、いけると感じることができた。勝ったことで、この馬に対する自信がさらに湧いてきた」
それを聞きながら、あることに気がついた。栗東所属でありながら、本田騎手は関西弁でなく、最初から最後まで東京の言葉で話していた。改めて聞くと、江戸川区小岩の生まれだという。もう何年も関西に住んでいながら、言葉は生まれ故郷のまま。そこに本田優という男の本質、真っすぐで一本気なところが表れているように感じた。