あけましておめでとうございます。今年も当欄をよろしくお願いします。
競馬記者の正月は短い。おとそ気分でいられるのは元日だけ。その元日も夕方には東京を出て、常磐線に揺られて美浦トレセンへと向かわなくてはならない。2日朝には調教が始まるからだ。
ただ、正月のトレセンというのは悪くない。調教師、調教助手、騎手、厩務員から普段、いろいろコメントをいただいているが、そのことに対して、あまり感謝を伝えられていない。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げることで日頃、甘えていることへのお礼代わりになるかな、という気がしていた。
つまり、正月というイベントに乗じて、お世話になっている関係者に感謝を伝える。これが筆者のお正月だった。
そんな感じで、なじみの関係者にあいさつして回るのが2日の美浦トレセン。日が高く昇り、最後に向かうのは藤沢和雄厩舎だ。
「おー、みんなそろっているな。たまには君らから何かお年賀はないのか」
調教師から強烈なパンチを浴びて新年がスタートする。この感じがたまらない。正月の藤沢和雄厩舎取材は、いつも楽しかった。
そんな正月の藤沢和雄厩舎に緊張が走った年がある。2006年のことだ。和やかトークが終わった後、指揮官はこう宣言した。
「今年は外国人騎手を呼ばないことにした。横山典弘、北村宏司の2人で戦っていく」
えーっ。ドラマなら椅子から転げ落ちるほどの衝撃だ。オリビエ・ペリエを背にシンボリクリスエス、ゼンノロブロイがGⅠを勝ちまくったのが、ついこの前のことなのに…。
事情はいろいろあるのだろう。ただ、師が日本人ホースマンをもっと育てたいと思ったであろうことは間違いなかった。日本競馬の先を見据えた、勇気ある一手だと思った。
06年春。GⅠヴィクトリアマイルに管理馬ダンスインザムードを出走させることが決まった。鞍上には同馬に3度、騎乗したことがある北村宏司を指名した。
「緊張しますよ」。北村宏司は話した。藤沢和雄師はいつも通り、淡々と追い切りを指揮し、出馬投票をした。北村宏司に何か、特別に話をした様子もなさそうだった。弟子への厚い信頼が見て取れた。
2番人気の支持を受け、1枠1番からスタート。5番手のインで運び、直線を向いた。前に2頭が壁をつくっていた。ここをどう突破するか。岡部幸雄元騎手、ペリエ、横山典弘らと何度も併せ馬をして、アドバイスも受けてきた。その成果が試される時が来た。
北村宏司は好機を待った。残り300m。前がバラけた。わずかに空いた隙間に飛び込む。抜けた。後続を引き離すダンスインザムード。北村宏司、GⅠ初勝利。いつも静かな男が右ムチを振り下ろして感激を表現した。
横山典弘が声をかける。「ヒロシ、ちゃんとウイニングランをしろよ!」。照れくさそうにファンの前に馬を誘導し、歓喜のシャワーを浴びた。「こんな下手くそなのに乗せ続けていただいて…。今回は何が何でも結果を出したかった。ほんの少しだけど先生(藤沢和雄師)に恩返しできたかな」。北村宏司はお立ち台で語った。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」。関東大震災からいち早く東京を復興させた政治家・後藤新平の言葉だ。名監督だった野村克也さんが好んで用いたように、現代でも大事な心構え。藤沢和雄師もまさに「人を遺した」のだと思う。
北村宏司は15年菊花賞で5番人気キタサンブラックをVに導き、その後の大活躍へのきっかけをつくった。23年阪神JFでは3番人気アスコリピチェーノでV。有馬記念馬レガレイラの手綱を取った(24年皐月賞6着)こともある。今も確固たる輝きを放つが、やはり06年、藤沢和雄師のあの決断があったから、北村宏司の今があるのだと思う。